音楽美学の視点

批評について

 音楽家は上手に奏でられればそれで良いというのは、いささかバランスに欠けているらしい。

さわりだけでも、ほんの二言三言、おそらく文字にすると50文字くらいになるだろうか、すこしは批評ができなければ一人前の音楽家としては認められないという。

ここで、L. van. ベートーヴェンについて、彼の楽曲にとどまらず、様々なエピソードについて、筆者が何か述べるとなると、自由な考察を繰り広げ、50文字では済まなくて、まる一日食事も忘れて喋り続けるかもしれない。

私も音を奏でる一人として、批評には興味があるし、このような公式の場所でなければ、読者からご覧になってもかなりエキセントリックな事を思いつくので、自身アクセルとブレーキを使い分けるのが大変だと感じる。

前に述べた美学の大家が更に云うには、演奏家たるもの批評が過ぎても、演奏家として成功した例が少ないとのことだった。

それは、分かる気がする。

その音楽について、何か述べるとたちまち自身の身にブーメランのようにかえってくるからだ。

若い時は感性が尖っていたと思う。

苦境や波乱ばかりが人生だと疑わなかった時期があったせいで、私の感性の角が取れて、丸くなってしまったのだ。

鋭い考察を持ちながら、そのような善良な人々にとって危なげなものは、今もなお封印されたままだった。

数年前に、L. van. Beethovenの音楽と再会する前までは。

彼の音楽に触れたものは、100人居れば100通りの解釈が生まれるだろうと思わずにはいられない。それほどの許容と拡がりが彼の世界観にはある。

彼の音楽は、再現芸術家としての巨匠達による演奏で、すぐにでも気軽に聴くことができる。

演奏できるならば、1フレーズでも1曲でもいい、ダイレクトに触れてみるのが良いと思う。

演奏者にしか味わえない醍醐味とは、楽曲と自らの内面とが、対話・模索するうちに、素晴らしい効果があり、それは楽曲の背景に居るアーティストと奏者にしか分からない共通言語を交わしながら、芸術の真のエッセンスを味わえるところにある。

どなたにでも、憧れるミュージシャン、敬愛するアーティストはいらっしゃることだろう。

私にとって、それがL. van Beethovenだった。